冤罪の可能性が指摘されている1992年に起きた飯塚事件。
当時小学1年生の女児2名を殺害されたという心苦しい事件です。
事件の犯人は久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚だとし、2008年10月28日に既に刑が執行されていますが、本当に冤罪はあったのか疑問が世間の注目を浴びています。
そんな久間三千年元死刑囚ですが、どうやら前科があったという情報がありました。詳しく見ていきましょう。
【飯塚事件】久間三千年には前科がある?
こちらは久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚に前科があったというTwitterの情報です。
しかしこの情報の根拠となる情報元は見つかりませんでした。デマの可能性が十分に高いと考えられます。
また裁判に落ちて妻の証言では
夫にとってこの上ない屈辱だったのは、幼い二人のお子さんの命を奪ったと言われたことだと思います。もし、その現場に遭遇していたら、夫は自分の体を張って子供たちを守っていたと思います。夫はそういう人です
とコメント。
幼児界隈の前科を持つようなタイプではなかったのではないでしょうか。
7歳女児行方不明事件にも関与?
久間三千年元死刑囚は1992年の女子行方不明事件以外にも別の事件で関与が見られていました。
飯塚事件は本当に免罪?しかし、久間三千年は88年に起きた福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件のことで嘘発見器にかけられ彼の反応した場所で被害者の衣服が出てきたりしている!2回も久間の家から出た女児が死んでいるよ!
— 日中交流会の日中語広場マオ (@neNqJIz8pGLvip8) March 1, 2022
1988年に起きた福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件についても触れていきます。
この行方不明となった女児の名は松野愛子ちゃん、当時7歳でした。
久間は、事件当日に愛子さんと会ってチョコレートをあげたことを認めていますが、「自分は事件とは無関係だ」と供述、事件の関与については全面否定していました。
この事件は1995年2月18日に捜索が打ち切られ、現在も未解決事件として謎のままです。
【飯塚事件】久間三千年には前科がある?7歳女児行方不明事件にも関与?
今回は飯塚事件の犯人として刑が執行された久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚の前科についてご紹介しました。
記事の内容の通り、前科について事実とされる証言・情報は確認できませんでした。
しかし同市内で女児行方不明の事件が連続して起こり、その女の子と接点があったことから疑いの目が濃くなったことは事実でしょう。
事件発生から31年、冤罪を訴え続ける遺族の戦いは終わっていません。しかし被害に遭われた7歳の女の子の遺族らにとっても辛い戦いだと思いました。
娘の命を奪われ、その犯人が捕まり受刑したかと思えば未だに冤罪疑惑で事件解決が有耶無耶にされているのです。
最新の捜査方法で事件の真相が見え、関係者や遺族のみなさまの心が少しでも晴れることを願います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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