みなさん、こんにちは。
2001年1月26日、新大久保駅のホームで酔った30代の男性が線路に転落し、救助に向かった2人も巻き添えで死亡してしまう事故がありました。
救助を試みたのは、20代の韓国留学生と40代後半の日本人カメラマンでした。
今回はそんな見知らぬ人の救助を試みた日本人、カメラマンの関根史郎さんについてご紹介します。
また、関根史郎さんのご家族のその後についても記載しておりますので、ぜひ最後までご覧ください。

【新大久保駅転落事故】カメラマンの関根史郎はどんな人?
関根史郎さんのプロフィール
- 本名:関根史郎
- 生年月日:1953年生まれ(享年47歳)
- 出身:神奈川県川崎市生まれ
- 学歴:多摩芸術学園写真学科卒
- 職業:写真家
- 経歴:1975年~熊切圭介/木村恵一に師事、2年後にフリー写真家として活動、1991年からは株式会社スタジオ・エスに入社
小動物月刊誌『アニファ』の専属カメラマンだった
関根史郎さんはカメラマンとしてのキャリアを歩み、亡くなる前まではスタジオ・エス社で小動物月刊誌『アニファ』の専属カメラマンをしていました。
先程NHKをみていて関根史郎さん(アニファ専属カメラマン)の事を思い出しました🕊️
— 牧正之 (@6385umrpt) September 5, 2023
家族のその後は?
関根史郎さんのご家族は?
関根史郎さんにはお母さんの千鶴子さんと実姉がいました。
亡くなった知らせを聞いたお母さんはあまりの衝撃に言葉を失ったそうです。
「結局助けることができなかった。無駄死にです」
引用:朝日新聞『天声人語』
また、関根史郎さんの行動に対しお母さんは「(息子の)行動は当然のことだったのでは。運悪く命を落としてしまった」となしてたとも言います。
関根さんの母千鶴子さん
■「美談」のあとで
カメラマン関根史郎さん=当時(47)=は母千鶴子さんと、この団地で暮らしていた。事故後、勇気ある行動をたたえようと国や市の関係者が相次いで訪れ、賜杯や顕彰状を手渡していった。千鶴子さんは無言で説明を聞き、深々と頭を下げた。(引用)— アーサー=ルキウス・アルトリウス・カストゥス(レディ・アヴァロン) (@excaliburchalic) October 6, 2013
事故の後、各方面から多額の見舞い金が集まったそうです。
しかしその全額は「社会福祉に役立てたい」と関連団体や地元の横浜市緑区に寄付したそうです。
2001年3月15日には、関根さんのお母さん宛に、励ましの便りと2000万円を超える寄付金が届けられました。
この時のお母さんは以下のようにコメントしていました。
「今回ほど、。皆さんのやさしさが身にしみたことはありません。見舞金は寄附しようと考えています」
持病で足が不自由だった関根さんのお母さんは、事故後一度も新大久保駅を訪れないまま、2005年10月にご自宅で倒れて亡くなられました。
関根さんのお姉さん
お姉さんは当時51歳でした。現在に関する情報が見つかっていません。
生きていれば73歳~74歳になります。
事故発生後、東京新聞のインタビューに応じたお姉さんは事故後、以下のようなコメントを残していました。
「同駅に顕彰碑ができて一度だけ訪れたが、足が震えてホームを歩けなかった」
「山手線には絶対乗りたくない」
「埼京線の電車が新大久保駅に差しかかる際にはいつも、現場のホームと反対方向を向くようにしている」
【新大久保駅転落事故】カメラマンの関根史郎はどんな人?母親のその後は?
いかがでしたでしょうか?
今回は電車のホームに落下した見知らぬ人の救助を試みた優しい日本人、カメラマンの関根史郎さんについてご紹介していきました。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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