みなさん、こんにちは!
双子のオネエタレントとして人気を博した「おすぎとピーコ」さん。
現在ピーコさんの行方不明のニュースが飛び交い安否が気遣われています。
今回は日本のオネエやLGBTという概念の先駆けを作ったと言えるオネエタレントの「おすぎとピーコ」について解説します。
2人の若い頃~現在まで、そして長らく二人三脚で歩む中で気付きあげた絆や別れの時期もあった双子のエピソードについても多数ご紹介していきます。
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【画像】おすぎとピーコ
(左)ピーコ (右)おすぎ
(左)ピーコ (右)おすぎ
(左)おすぎ (右)ピーコ
(左)おすぎ (右)ピーコ
おすぎとピーコの出生について
おすぎさん(本名は孝昭)とピーコさん(本名は克昭)は、1945年1月18日神奈川県横浜市保土ケ谷区に生まれ。
両親と13才年上の長姉、9才上の次姉がおり、そこに双子の男の子として誕生したんですね。
5分早く生まれたピーコさんがお兄さんです。
あまり裕福な家庭ではなく小さい頃は家が狭かった為、おすぎさんとピーコさんは「ネズミみたいにくっついて」寝ていたそうです。
36歳で両親を亡くしています。
ともにデビュー時から同性愛者であることを公表していました。
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2人のびっくりエピソード
食事の代金は全ておすぎが払う?
現在でも、2人でよく食事に行くという話になったとき。おすぎが「頻繁にご飯食べてるよね」と言った瞬間、ピーコが「ごちそうさまですー」と口を挟む。聞くと、食事の代金は、常におすぎが支払っているのだそうだ。「(ピーコの)稼ぎが少ないから」と、さらっと言い放つおすぎ。それに対して、ピーコが何か言い返すこともない。気兼ねしている様子も見受けられない。2人の中ではそれが当たり前のことであり、申し訳ないとか恥ずかしいとかという感情は、そこにはないのだ。
共通の友人は作らない
おすぎとピーコの中では、どちらかが友達になった人とは友達にならない、というのが共通のルールになっているそうだ。「違う世界を持つことが大切」と2人は口をそろえる。阿川佐和子も、かつてそれを“乗り換えた”ことがあるらしい。2人の中では、人によっておすぎ印、ピーコ印という分類があり、相手の仲の良い人間とは一定の距離を置くというのがルールになっている。
ブレイクし人気絶頂の裏で喧嘩の日々
1975年ラジオ番組『一慶・美雄の夜はともだち』(TBSラジオ)に双子で出演、マシンガントークが大ウケします。
しかし人気絶頂の裏で2人はけんかが絶えませんでした。
1982年には出張先のホテルでどちらかが死んでいたかもしれないほどの大喧嘩をきっかけに、双子での仕事を断るような時期もあったようです。
病気のピーコを支え、関係修復
お兄さんのピーコさんは実は左目が義眼なんです。
1989年にピーコさんの左目に悪性腫瘍が見つかったことが原因で、摘出手術をしました。
「実はこのとき、おすぎさんはピーコさんが予定していた仕事をすべて肩代わりし、全国を飛び回っていました。おかげでピーコさんは仕事を減らさずにすみました。さらにおすぎさんは、ピーコさんのために義眼を選び、友達とお金を出し合ってプレゼントしたんです。犬猿の仲といわれた兄弟ですが、おすぎさんは誰よりもピーコさんを心配していた。
手術を終えおすぎさんがお見舞いに訪れたとき、医師からがんの転移がないと告げられ、2人は抱き合ってわんわん泣いて喜んだそうです。
双子の絆を感じる素敵なエピソードですね!おすぎさんカッコいい!
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双子の再ブレイク
50代ではフジテレビ大人気番組『SMAP×SMAP』で中居正広がピーコさんのものまね「ヒーコ」を披露しコンビの人気にまたもや火がつきました。
もちろん、あの…中居くんのヒーコがあったから私もこんなことできてるんだと思うんですけども。
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