みなさん、こんにちは!
皆さんは鈴木その子さんという方をご存知でしょうか?
料理・美容研究家として知られ、1990年代後半に「美白の女王」として抜群の知名度を誇っていました。
実業家としてだけでなく、その見た目のインパクトからTVでも話題になり一時お茶の間で見ない日などありませんでした。
そんな鈴木その子さんは68歳という年齢で2000年の12月に亡くなっています。
今回はそんな鈴木その子さんの死因は一体何だったのでしょうか?SNSではお顔のメイクが原因とされる噂も経っているようです!
鈴木その子も死んでから10年経つね!白かったよね!死因は確か、メラニンの反乱だったよね!
— 大川崎ポピンズ (@ookawasaki) February 5, 2011
鈴木その子が亡くなった時、本気で顔を白く塗り過ぎたことが死因だったと思ってたので、未だに美白化粧の人見ると体調大丈夫かな…と勝手な心配をしてしまう
— メラン (@fu03050166) December 20, 2019
バンキシャでカネボウ白斑問題について取り上げてた。
成分か何かが問題なんだろうけど、普通に考えたら美白って本来なら不自然な行為なんだろうなと思った。それと同時に鈴木その子の死因が美白行為とさして関係ないってことを今更知った(
— ぎんろう (@ginniro_ookami) August 4, 2013
また今回は鈴木その子さんが亡くなられた後の遺産についても記載しておりますのでぜひ最後までご覧ください!

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鈴木その子の死因は働きすぎ?
鈴木その子さんの死因は肺炎でした。
彼女は長年ハードワークの環境で、1999年に腸閉塞を患ってからは不調を訴えることも多かったようです。
過労により免疫力が低下していた鈴木その子さんは風邪をこじらせ入院し、肺炎で68年の生涯に幕を閉じました。
死の前日の晩にも病室に届けられた寿司の出前を平らげ、元気な様子を見せていたといい、まさに急死でした。
睡眠時間が1日2~3時間な状況が続いていた鈴木さんは、1999年には腸閉塞を患って手術を経験するなど、体がボロボロになっていたそうですね。
2000年9月に風邪をひいた際も、療養よりも仕事を優先していた鈴木さんは、パリコレから帰国すると本格的に体調が悪化してしまい、車いすがないと移動出来ないほど体が衰弱してしまうことになりました。
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遺産は88億円?!受け取ったのは娘さん
鈴木さんは生前に、個人名義の不動産もいくつか所有しており遺産総額は、88億円にものぼったと言います。
そしてこの資産を受け継いだのは長女のまゆみさんでした。
鈴木その子さんの実業家としての活動
鈴木その子さんのお父さんは実業家として成功を収めた資産家でした。
そんな裕福な家庭に生まれたにもかかわらず、その環境に甘んずることなく努力家だった鈴木その子さん。
実業家としてその頭角を見せ始めたのは42歳の時でした。
- 1974年 「株式会社ときの商事」を設立。銀座6丁目に新日本料理「トキノ」をオープン
- 1980年 「トキノエバグリーン料理研究所」を開設
- 1980年 著書『やせたい人は食べなさい』発行。120万冊のベストセラーとなる。
- 1982年 「野菜菓子の製造方法」にて自身初の特許を獲得
- 1983年 「野菜菓子」が「東京都発明特別賞」に受賞
- 1989年 化粧品事業に参入
美容健康食品や化粧品事業で成功を収めていた鈴木さんは、アパレル事業への進出にも熱意を燃やしており、10月にはパリコレに出展するところまでこぎ着けていたそうです。
親から莫大な遺産を相続した故鈴木その子女史、スタッフがグリーン車を予約すると叱ったという。いわく「どの席でも乗れば必ず目的地に着く。グリーンは無駄」代々の金持ち特有の思考だな。
— きのこ☆ (@kinoko3670) January 17, 2016
また莫大な資産を持っていた鈴木その子さんですが、倹約家でもあったようですね!
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鈴木その子の死因は働きすぎ?遺産は88億円?!受け取ったのは誰?
いかがでしたでしょうか?
鈴木その子さんは見た目のインパクトが強く、当時TVを見ていた私は鈴木その子さんがどんな方なのか知りませんでした。
しかしその姿は料理研究家であり、美容健康食品や化粧品事業で成功を収める実力者であったことが分かりました。
もしご存命ならアパレル業界にも爪痕を残したことでしょう…
働きすぎによって亡くなられてしまったことは非常に残念に思いました。
最後までご覧いただきありがとうございました!

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